MASAHIRORIN’s diary

夜麻傘(MASAHIRORIN)の跡地

 物事を積み上げる事の大事さをMASAHIRORINは大切だと思うのですよ。



 日々生きていく中で知恵を積み上げる事と、運動して体を鍛える事と、没頭して背負い続ける事は、基本的な積み上げ方だと思います。
 積み上げていくと何時かは東京タワーなり大気圏並の高度なりになるわけですが、徐々に負担が大きくなって足が保たなくなる時が、積み上げられる限界点。それ以上積み上げれば体は崩れて積み上げた物も大崩壊なわけですが、それならば、足を鍛えてやればまだまだイケるというのが結論ですたい。
 いずれヒトとしての限界には辿り着くでしょうが、実際にヒトが辿り着いている境地に自分が辿り着いていないならば、そこで諦めるのは時期尚早というもの。「自分の限界点はココだ!」と解ったつもりでいるならば、そら高慢でチキンな結論だと思った事がありますよ。なんてったってヒトとしての限界を解ったつもりでいる上に、それ以上頑張るつもりはない考えが滲み出てるわけですからね。


 現在、そんな極端な考えは流石にしなくなりましたが、それでも自分の深い所では考えてるんだなーっていう不快感が、今でも疼いてますよ。「若い学生連中が何悟りきった面してんだ」って思いが湧いてくるのも、やはり残っている証拠かと。




 まぁ、そんな事は実はそれ程大事では無くて・・・。




 積み上げる事で何かしらの境地に辿り着いたならば、その実感を持つ事が大事なのですよ。
 それが数学然り、文学然り、機械芸術娯楽にネトゲと・・・。
 境地への敷居の高さに驚いたり腰が引けたり、それで途中まで積んで見たけどやっぱり高すぎるから諦める、なんていうヒトを良く見かけます。それ以外には、これくらい積んでおけば役に立つから後はのんびり行こう、なんてヒトも居ますが、若い分際で爺臭い事やってたら人生損してますよ?とも。


 ある程度の目標の目安になるからやりやすいといえばやりやすいんですけどね。





 何か話が脱線しそうなので結論を先に言ってしまうと
 「一度積み上げきったという実感と経験を持てば、敷居の高さにビビるなんて事は、諦める理由にはならない」という事ですよ。
 それが無いだけで、日々研鑽を積む事の助けになるもんです。数学然り、文学然り、機械芸術娯楽にネトゲ然り、ね。




 そいじゃ用事があるので出かけてきますん。
 帰ってきたらマビのクリスマスイベントでもレポートしますよっと。